ふるさと再発見  島原城の梅苑  そろそろ梅のつぼみがほころぶ季節になりました。  島原城本丸は梅の名所となっており、その一角に紅梅と白梅が植えられている「古野梅苑(ふるのばいえん)」があります。  この梅苑は、島原出身の古野マツヨさんからの寄付を元に整備したものです。  古野家はもとは松平家臣の家柄で、世界で初めて魚群探知機を開発した古野電気を設立、先祖の地である島原へ多額の寄付をされたものです。  この梅苑の中には、「松倉重政公御祭祀の祠(まつくらしげまさこうおさいしのほこら)」があり、築城者である松倉重政公と工事犠牲者が祀られています。この祠には松平忠精(まつだいらただきよ)公筆の扁額(へんがく)があげられており、奥には松倉重政公木像が安置されています。  松倉重政公は島原城を築いた人物として知られていますが、高い石垣を築き、涌き水に悩みながら堀を掘る難工事の連続で多くの犠牲者があったと伝えられています。工事にあたった多くの人たちの犠牲により今に残る美しい島原城が築かれたのです。  島原市では毎年、梅の時期に梅林俳句会が催されます。梅を見てその思いを句に託す風流な句会として知られています。  市の花に指定され私たちに身近な梅の木、春の訪れを感じに梅苑を訪ねてみませんか。 クローズアップ 島原の「押し絵びな」  島原城下ひなめぐりが開催されていますが、皆さんは「押し絵びな」をご存じでしょうか。  押し絵びなとは、厚紙を土台にして着物の生地を貼り、中に綿を詰めて凹凸を付けたひな人形のことです。江戸時代後期から全国各地で作られ始めたとされており、ひな人形がとても高価だったため、庶民の間で流行し飾られていました。しかし昭和初期ごろから次第に作られなくなり、現在まで残っているものは珍しく貴重なものです。  島原でも押し絵びなが残っていて、島原城観光復興記念館では多くの押し絵びなを見ることができます。ここに展示してある押し絵びなは、島原押し絵の会が発掘・修復したものですが、その多くは、現在中堀町にある白山履物店(しらやまはきものてん)で昭和初期に製作されたものだそうです。お内裏様やおひな様に限らず、武者や子どもなどさまざまな種類があります。  白山履物店の店主・白山眞一郎(しらやましんいちろう)さんにお話を聞くと「私の祖母が履物屋の傍ら押し絵びなを製作、販売していました。生地や綿、型紙として使う絵がそろう環境にあったので作り始めたのだと思います。我が家にも押し絵びなが残っていましたので店内に展示しています。押し絵びなは、100年程前のものもありますので、島原の文化の一つとして、ひなめぐりを機会に多くの人に見てもらえればと思います」と話してくれました。  どこか懐かしい表情を見せる押し絵びな。ひなめぐり協力店の数カ所で見ることができますので押し絵びなを探して散策してみてはいかがでしょうか。  写真上/白山履物店に展示してある約100年前に作られた押し絵びな。 写真右/店内には押し絵びな作成時の原画も展示されています。