ふるさと再発見 鉄砲町(てっぽうまち)編 鉄砲町の歴史  島原城の西側に広がる武家屋敷地は、鉄砲を扱う藩士が居住していたことから鉄砲町とも呼ばれています。下ノ丁の道路中央を流れる用水をはじめとし、武家住宅が残る歴史的景観を今日に伝えています。  鉄砲町は、元和(げんわ)4年(1618年) から始まる島原城の築城とその城下町建設に伴って、成立しました。  当初は、下ノ丁、中ノ丁、古丁の三筋でしたが、寛文(かんぶん)9年(1669年)に松平氏が島原藩主となった後、下新丁、上新丁、新建、古丁新建が建設されました。  鉄砲町の東側には、江戸丁がありますが、これは、文久(ぶんきゅう)3年(1863年)から慶応(けいおう)元年(1865年)にかけて、江戸詰めの藩士が島原へ帰任(きにん)したことに伴い、成立しました。  肥前島原松平文庫所蔵『島原藩士屋敷図(しまばらはんしやしきず)』には、元治(げんじ)2年(1865年)の鉄砲町の様子が描かれており、宅地の総数は699筆を数えます。  島原の歴史を刻む鉄砲町。先人の営みに思いをはせて、訪ねてみてはいかがでしょうか。 ○参考文献: 「 島原市鉄砲町伝統的建造物群保存対策調査報告書 」 (島原市 平成21年3月) 【画像】島原藩士屋敷図 クローズアップ ジオパーク国際ユネスコ会議を支えた市民ボランティア  ジオパーク国際ユネスコ会議が盛会のうちに閉幕しましたが、この国際会議で忘れてはならないのが市民ボランティアの存在です。  国際会議では、ボランティア登録した130名の皆さんにより、外国語対応や観光情報提供、会場案内、クローク、ポスター発表補助、巡検ボランティア、バスに同乗して会場やホテルへの案内など多くの役割を担い、運営を支えていただきました。  また、国際会議の開催にあたり、沿道の清掃や高校生ボランティア、各種歓迎イベント・交流イベントの開催、子どもたちによるお土産づくり、おもてなし協力店など、国際会議の会場だけでなく市全体で参加者を歓迎していただきました。  さまざまな人たちの協力により島原ならではのおもてなしの心があふれる有意義な国際会議となったことは間違いありません。ご協力いただいた皆様、大変お疲れさまでした。 【画像】外国語で観光情報などを提供しました 【画像】参加者にお茶を振る舞いました インタビュー 横田さや乃(よこたさやの)さん  島原での国際会議に関わりたく て外国語のボランティアとして参加させていただきました。  国際会議中の外国語ボランティアデスクやアイスブレーカーパーティーの司会の英訳などを担当しました。また、ジオジェネシス(アート展)に出品するオランダのアーティストの作品制作の手伝いもしました。  自分の役割を無事に終えられそうでほっとしています。ボランティアをするにあたって、島原のことや災害のことなどを家族で話す機会が増え、とても勉強になりました。