島原城天守閣復元50 周年記念特集  島原を象徴するランドマーク「島原城」の天守閣が昭和39年に復元され、本年4月で50周年を迎えます。そこで今月号では島原城を特集します。  まず、郷土の歴史家で、現在、島原城専門員として展示資料の解説などを行っている松尾卓次(まつおたくじ)さんによる寄稿記事。島原城の築城から現在までの変遷について、その歴史的背景や裏話も交えた解 説となっています。(今月号から3回に分けて掲載します)  また、広報しまばらの昭和39年4 号の記事も掲載しましたので、復元当時をご存知の人には懐かしく、生まれた時からそびえ立つ島原城を目にしてきた世代には、当時の島原市民の天守閣復元にかける熱意を感じていただけるのではないでしょうか。  私たち市民にとっては「いつもそこにあるのが当たり前」ですが、毎日、多くの観光客が訪れる「島原城」。  今年の復元50 周年記念事業が島原城の価値を見つめ直す好機となり、今からさらに50 年、100 年後まで、変わらぬ姿であり続けてほしいと願います。 (写真)島原城専門員 松尾 卓次さん 「島原城復元50周年」 @島原城の築城  島原城、それは島原人にとってふるさと島原を強く感じるシンボルである。島原で暮らす者にとって、朝夕お城を眺めてはここに生まれ育った喜び、幸せを噛み締める。遠く離れて暮らす者には、帰省のたびに城を見てはふるさとに帰った思いを実感する。この島原城も今年の4月10日で、復元されて50周年を迎える。我らが島原城も半世紀を迎えた。  島原の城と町は今から約400年前に建設された。この時期、日本全国に130余の城が築造されたが、その中でも島原城は城郭と武家屋敷街、町人町の縄張りがよく残されている極めて珍しい存在である。  島原城の築造年には諸説がある。松平家の記録をまとめた『深溝世紀』によれば、「元和元(1615)年、(松倉重政)封を肥前有馬に移さる。明年請うてその城に移り、さらに城を島原に築く。7年にして成るといい、或いは4年という」とある。いずれにしろ1620年代の初めには完成したであろう。  松倉重政が新領主として入封した。関ヶ原合戦や大坂の陣で武功を立てたので徳川家康から取り立てられて、4万3千石の大名となり、新しい居城として島原に大きな城を構える。7年かけて築き、その頃城下町も完成させたようである。  外郭は周りに2060間の塀を巡らし、瓦葺きの練塀で取り囲んでいた。内郭は南に偏って本丸。そこには高さ17間余の五層の天守閣がそびえる。北隣に二の丸、その北に三の丸があり、御殿が建つ。城郭の北側に上級武士の屋敷街を組み込み、西側には下級武士街を配置した。天守閣の構造は、総高17間1尺5寸。それに3つの三階櫓、二階櫓が7と平櫓が6箇所。その面積は城郭部11町余、上士屋敷部30町余、下士屋敷街18町余となる。  ここに新興大名としての意気込みを感じる。それを可能にしたのが有馬氏の遺産で、長く続いた南蛮貿易の利潤であったろう。さらに重政が近畿地方の出身であり、当時の先端技術および技術者の取り入れが容易であったからである。また、戦国の世を切り抜けてきた武将であるから、築城には思いのほか肩入れが多かったであろう。築城の名手と言われた所以である。  以来松倉氏、高力氏、松平氏13代(途中25年間戸田氏と交換統治)の居城としてそびえてきた。 (次月号は「A島原城の解体」を掲載予定です) 昭和39年の出来事 1 島原城天守閣落成を紹介した「昭和39年4月号広報しまばら表紙」 2、3 東京オリンピック開催を前に、市内を聖火ランナーが走り、当時の記録によると市内外から約10 万人が沿道に詰めかけました (昭和39年9月13・14日)  今年は、4月6日(日)「城の日」に行うオープニングセレモニーを皮切りに、島原城をメイン会場とした特別イベントのほか、毎年開催しているイベントも50 周年にふさわしい趣向を凝らした内容で実施します。 皆さんで島原城天守閣の50 歳をお祝いしましょう。 問い合わせ先 しまばら観光おもてなし課(内線213) 【今年開催予定の特別イベント】 ・島原城市民展(随時) ・島原城とジオパーク(7〜8月夏休み期間中) ・時代を超えて記念写真(9〜11月) ・島原城写真展(10〜11月) ・島原城菊花展(11月) ・深溝本光寺宝物展(10〜11月) ・しまばら江戸まつり(平成27年3月) 島原城入館料 大人540円、小人270円 下記割引券持参で島原市民は50%割引になります ※車で入場する際は駐車場代が別途必要です 島原城の特別入館割引券(50%割引)4枚 有効期限平成27年3月末まで有効 ※本件の利用は島原市民に限ります ※1枚につき1名様ご利用できます ※他の割引との併用は不可 ※コピー不可 島原市