島原城天守閣復元50周年記念特集A 島原を象徴するランドマーク「島原城」の天守閣が昭和39年に復元され、本年4月で50周年を迎えました。そこで今月号でも前月号に引き続き、島原城を特集します。  郷土の歴史家で、現在、島原城専門員として展示資料の解説などを行っている松尾卓次さんによる寄稿記事。島原城の築城から現在までの変遷について、その歴史的背景や裏話も交えた解説となっています。(今月は「A島原城の解体」を紹介します) 問い合わせ先 しまばら観光おもてなし課(63-1111内線213) 写真:島原城専門員松尾 卓次さん 「島原城復元50周年」 A島原城の解体  島原藩は幕藩体制維持を基本的態度として、1862(文久2)年に忠和公を新藩主に迎えた。藩内では重臣らの温和思想にもの足らずに過激な行動へ出る若者もいた。藩論を巡って中老・松坂丈左衛門が暗殺される出来事もおこり、丸山作楽は皇国の道を説いて投獄される。  1867(慶応3)年、将軍慶喜が大政の奉還を上奏した頃、藩主は病床にあって、藩論が混乱していた。大坂聞継が帰国してからやっと様子が分かり、倒幕派に加わることになった。家老の板倉勝直が代わって上京、朝廷に忠誠を誓う。そして奥州出征を命じられ、一応面目を立てる。 1869年4月、藩主が上京して版籍の奉還を願い出て、その返上が認められた。ここに有馬氏以来2世紀半に及ぶ島原藩政が終わり、無用の長物となった島原城は民間へ払い下げられた。先ず大手門が解体され、さらに天守閣も入札払いになり、とうとう1876(明治9)年には解体される。 この幕末の混乱をはじめ、島原城は250年もの間、島原城下のさまざまな出来事を目にしてきた。その間いろんな出来事があった。  1637(寛永14)年、島原の乱が起こったとき、連日農民軍が押し寄せて激戦が続くが落城を免れた。多数の農民が島原へ押し掛けては町を焼き、島原城を攻撃する。激戦が続くが押し返す。この大乱も島原城は切り抜けた。  1792(寛政4)年の島原大変時には何度も大地震に見舞われ、4月1日には眉山が崩壊した。そのため発生した大津波は外郭石垣まで打ち寄せたが安泰であった。中でも被害が大きかったのが、島原城下町である。合わせて約1万人が流死・圧死した。  たびたびの危機を乗り越えた島原城であったが、時代の荒波には抗することが出来ず廃城となる。 その後、1世紀は裸の城であった。本丸と二の丸の外郭は残ったが、石垣と堀だけの荒城であった。しかし、観光ブームに乗り、1964(昭和39)年に天守閣が復元されるのである。 (次月号は「B島原城天守閣の復元」を掲載予定です) 島原城入館料 大人540円、小人270円 下記割引券持参で島原市民は50%割引になります ※車で入場する際は駐車場代が別途必要です 島原城の特別入館割引券(50%割引)4枚 有効期限平成27年3月末まで有効 ※本券の利用は島原市民に限ります ※1枚につき1名様ご利用できます ※他の割引との併用は不可 ※コピー不可 島原市