つなごう!未来へ 島原半島世界ジオパーク51 島原半島ジオパーク協議会(65-5540) 島原大変と眉山 ジオサイトは、景色や地層、岩石を観察するだけでなく、地球の営みと人々との関わりを楽しむ場所でもあります。ここでは、島原半島内のジオサイトを紹介していきます。  第2回目は、「島原大変と眉山」です。眉山は島原の西にそびえる溶岩ドームで、今から約4000年前の噴火でできた火山です。北側に七面山、南側に天狗山の2つの峰がありますが、地形の様子から、最初に天狗山ができ、次に七面山ができたと推定されています。  今から222年前の1792(寛政4)年5月21日(4月朔さく日)、夜8時過ぎ。天狗山の直下で火山性の強い地震がおきまし た。この地震によって天狗山は大きく崩壊。大量の土砂が城下町島原の南半分を埋め尽くしただけでなく、大部分が海になだれ込 み、大津波を引き起こしました。津波は島原半島沿岸と対岸の肥後・天草を繰り返し襲い、双方に甚大な被害を与えました。折しも、この山崩れが起きたのは新月の夜。しかも海は満潮に近い状態でした。当時の人々は、真っ暗闇の中で突然津波に襲われたのでしょう。  島原城下や沿岸、対岸の熊本も含めると約1万5000人が犠牲になったこの大災害は、「島原大変肥後迷惑」という言葉で今に伝えられています。半島沿岸に残る供養塔には、今も花が絶えることはありません。  次月号は「ヤマボウシ」を紹介します。 (写真:眉山の全景) 右が七面山で左が天狗山。天狗山の一部は大きくえぐれています (写真:天狗山の崩壊地) 切り立った崖は、今も少しずつ崩れ続けています (写真:島原市内のアーケード街) ここが「島原大変」が起こる前の海岸線だった場所です。かつて道の左側は、「水頭( みずがしら)」と呼ばれる船着場でした (写真:島原市田町にある流死供養塔) 同じような形の供養塔が、島原半島沿岸7カ所に建立されています