ふるさと再発見 「藩主改易(かいえき)、その時島原城は・・・」  1668年(寛文8)2月、島原藩主・高力高長(こうりき たかなが)が改易(※武士の身分をはく奪し、城・屋敷を没収すること)に処せられます。改易の理由は諸説ありますが、藩政に混乱を来たしていたことは間違いないようです。  この改易に際し、中津藩主・小笠原長勝(おがさわら ながかつ)(本丸)と平戸藩主・松浦鎮信(まつら しげのぶ)(二の丸)の2人が島原城受取を命ぜられ、一定量の騎馬や武具の動員 (軍役)が言い渡されます。  平戸に伝わっている資料によると、3月に恒例となっている長崎行きを急遽中止し、幕府や城受取を担当する各大名と連絡を取りました。  4月、平戸を出陣した平戸藩の軍勢は、10日の行程を経て島原入りし、島原城を受け取ります。平戸藩の持ち場であった田町門口では、鉄炮や弓矢をいつでも発射できるよう準備するなど、厳戒態勢で城の受取に臨んでいます。  実際、平戸藩としては命ぜられた軍役だけでは不安で、密かに先発隊を島原に送るなど、兵力増強のための隠ぺい工作が行われたようです。  島原の乱以降、戦乱がなくなり久しい中、戦時同様の想定が平戸藩にはありました。  また、めったにない武家としての面目躍如の機会と受け取ったようで、出陣を志願する平戸藩士も多かったようです。  5月、在番担当の臼杵藩・稲葉(いなば)家家臣に引き渡し、平戸藩の軍勢は帰途へつきます。  次の島原藩主・松平忠房(まつだいら ただふさ)が島原城入りする翌年9月まで、臼杵藩が留守を預かりました。 (松平文庫学芸員 吉田 信也(よしだ しんや)) (写真)二の丸と田町門(松平文庫蔵『藩士屋敷図』) クローズアップ サッカー2級審判員 堀川(ほりかわ)うららさん (写真)堀川うららさん  10月18日から同月21日まで開催された「長崎がんばらんば国体」サッカー競技(女子)の試合に、本市出身で現在、関東の大学に在学中の堀川うららさんが、副審として出場しました。  堀川さんは、ルールの理解はもちろんのこと、体力面、実践能力が高く必要とされる「サッカー2級審判員」の資格を有し、地元開催の国体で審判員の大役を務めました。  審判を始めたきっかけは、島原の女子サッカーチーム「アンベリール」に所属する2級審判員の資格を持つコーチからの誘いでした。  堀川さんは「最初は軽い気持ちで始めたんですが、やっているうちに楽しくなり、出会った多くの方々とのご縁で今日まできました」と話してくれました。  印象に残った試合をお聞きすると「島原と佐賀の中学生男子の試合で、試合後、子どもたちから『僕たちの試合で、また笛を吹いてもらえますか』と言ってくれたことが、すごく嬉しくて印象に残っています」と笑顔で話してくれました。  また、将来の夢についてお聞きすると「女子1級を取得し、なでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ)で笛を吹き、できれば2020年の東京オリンピック女子サッカー競技に携わることができれば」と話す堀川さん。  選手として、また審判員として、1試合1試合を大切に、大きな夢に向かって、堀川さんは今日もピッチを走り続けます。 (写真3枚)長崎がんばらんば国体 サッカー競技(女子)で審判員を務める堀川さん