つなごう!未来へ 島原半島世界ジオパーク61 島原半島ジオパーク協議会(65-5540) ▼江戸時代の噴火がつくった景観 新焼(しんやけ)溶岩流  毎月、島原半島内のジオサイトやその見どころを紹介するこのコーナー。今回は島原市にある新焼溶岩流です。  下折橋町にある芝桜公園の駐車場から平成新山を見ると、平成新山の麓のやや右手に、ごつごつとした岩肌をもつ丘(黄色い矢印の下) が見えます。これは新焼溶岩流がつくった丘です。  新焼溶岩流は今から223年前の1792年に起きた寛政噴火の際に普賢岳の山腹を流れ下った溶岩流で、この溶岩流がつくる丘は、丘がで きた時の様子から「焼山」と呼ばれています。  1792年2月27日(新暦)、激しい地震活動が続いていた普賢岳の山腹から噴火が始まりました。雪の中で起きたこの噴火によって火口から溶岩があふれ出し、穴あなさこだに迫谷と呼ばれる谷の中を流れ始めました。溶岩はおよそ2カ月かけて、1日平均30メートルほどのスピードでゆっくり山肌を流れました。この溶岩の流下と桜の開花の時期が重なったため、溶岩と桜を同時に見物しようと、たくさんの人が酒と肴を片手に山に登り、宴を開いていたそうです。しかし、新焼溶岩流の噴出が止まった旧歴の三月朔さ くじつ日(4月21日)から、島原城下は再び激しい地震に見舞われるようになり、今はすでに失われている楠くすのきだいら平の地すべりを経て、眉山(天狗山)の大崩壊へと繋がっていきます。  新焼溶岩流は、雲仙天草国立公園の中で最も規制が厳しい特別保護地区に指定されています。この溶岩流の先端部には遊歩道が整備されているので、この溶岩流に登れば、223年かけて培われた、島原半島本来の自然の姿を楽しむことができます。特に70メートルもの断崖絶壁を上から覗き込むことができる「一枚岩」には、毎年島原市内の全小学6年生がジオパーク学習で訪れ、溶岩がつくった地形を体感しながら、そこか ら見える景色に隠れた歴史を学んでいます。  次回は「龍石海岸」を紹介します。 (写真)芝桜公園の駐車場付近から見る新焼溶岩流 (写真)「一枚岩」に登り、景色を楽しむ島原市の小学生 ▼島原城特別入館割引券(50%割引)×4枚 有効期限 平成27年3月末まで有効 ※本券の利用は島原市民に限ります ※1枚につき1名様ご利用できます ※他の割引との併用は不可 ※コピー不可