ふるさと再発見 二つの藩士屋敷図  島原には、現在2系統の『藩士屋敷図』が伝来しています。これによって、藩士たちの屋敷が当時どこにあったのかを知ることができます。  一つは本光寺蔵(後年の写本が松平文庫にも伝わる)で享保期以前の城内の様子を描いたもの。もう一つは幕末ごろの調査を元に描かれたもの(松平文庫蔵)で、城内と鉄砲町の様子がわかります。  1669年(寛文9)、松平忠房(まつだいら ただふさ)公が最初に島原入りして間もなく、諸士にくじを取らせて邸宅を分け与えたことが『深溝世紀』に記されています。  今の感覚と違い、屋敷地は個人が所有するものでなく、原則、藩士一個人に対して拝領されたもので、拝借しているという感覚だったと思われます。そのため、藩士の住まいは想像以上に流動的なものでした。間に戸田氏が治めた時期があったとはいえ、二つの藩士屋敷図を見比べてみても、ほとんどの藩士の住まいが前後で異なっています。  また、本光寺蔵の図を見ると、「仕立師(したてし)」といった職人の住まいや、「鉄炮矢場(てっぽうやば)」、「薪長屋(たきぎながや)」、「牢屋(ろうや)」といった邸宅と異なるところ、「明屋敷(あきやしき)」といった居住者のいない屋敷地など、『藩士屋敷図』の名前からは想像できない発見もあります。  今は見ることのできない、地域のさまざまな姿を、これらの屋敷図は教えてくれます。 (松平文庫学芸員 吉田 信也(よしだ しんや)) (写真)本光寺所蔵の「藩士屋敷図」 (写真)松平文庫所蔵の「藩士屋敷図」 クローズアップ 島原市弓道協会  張りつめた空気の中で「シュッ」と矢を射る音が響き渡る市霊丘公園体育館・弓道場。  今回、紹介するのは「島原市弓道協会」の皆さんです。  弓道は28メートル先にある的へ矢を射て、命中した本数を競う競技で、日本古来の武道です。  協会は、創立から60年あまり経過し、中学生から一般まで現在63人が活動しています。  主な活動は、個人練習のほか初心者教室の開催などを行っているそうです。  会長の本田哲也(ほんだ てつや)さんに伺うと「弓道は空いた時間に一人でも練習でき、生涯続けられる競技です。また、年齢に関係なく競うことができ、若い人とも対等な勝負ができるところも魅力の一つです」と話してくれました。  また、島原市で昨年開催された長崎がんばらんば国体の弓道競技について「国体開催の5年前から準備をしてきましたが、皆さんのおかげで無事終えることができました。弓道を初めて見る人など多くの人に応援に来てもらい、弓道の楽しさを間近で感じてもらうことができたと思います」と笑顔で話してくれました。  皆さんも、礼節を学び、精神集中を図れる弓道を始めてみませんか。  詳しくは、市霊丘公園体育館・弓道場(63−2206)に問い合わせてください。 (写真)弓道協会の皆さんの集合写真 (写真2枚)弓を射る様子