ふるさと再発見 「島原大変」と島原城 ○瓦の落下・7カ所 ○石垣崩落(いしがきほうらく)・5カ所  (鐘撞所(かねつきどころ)、土手留(どてどめ)を含む) ○塀の決潰(けっかい)・7カ所 ○米蔵破損(こめぐらはそん)・2棟 ○外郭平櫓破損(そとぐるわひらやぐらはそん)・9カ所  これは、1792年(寛政4)の、いわゆる「島原大変」における、島原城の施設に関わる個所の被災状況です。現存の資料が被災した個所をすべて記述しているとすれば、1万人近くの死者数を記録している災害の中にあって、比較的軽微な被災状況ではないでしょうか。  城内の侍屋敷でも68カ所で塀が潰れているものの、母屋の被害は記録されていません。  また、古絵図には城内および鉄砲町にかかった、3カ所の地割れが記されているものもあります。  城郭がこれだけの災害に耐えうる強固なものであったためか、城内は避難先に設定されていました。  3月1日の大地震の直後、普賢岳の噴火に備え、溶岩流の到達地点に応じた段階別の警戒避難指令が、島原藩から出されました。指令の中で、溶岩流が鉄砲町に到達するような時は、そこに住む者は城内の空き家に移るようにと指示されています。  4月1日に城下が高波に見舞われるものの、噴火についての想定は現実のものとはなりませんでした。しかし、強固な城郭でありながら、藩主が守山村(現在の雲仙市吾妻町)への避難を選択した史実は、同地で藩主自身が死を迎える結果となったこともあって、悔やまれます。  (松平文庫学芸員 吉田 信也)  (写真)『島原大変大地図』(松平文庫蔵)に描かれた地割れ クローズアップ 「香扇抄会(かせんしょうかい)」  今回、紹介するのは、日本舞踊を優雅に踊る「香扇抄会(かせんしょうかい)」の皆さんです。  この会は、森岳公民館主催の日本舞踊講座の終了後、日本文化に興味があったメンバーが集まり、平成25年10月から月3回、講師の香扇抄(かせんしょう)である羽田(はねだ)さんの指導のもと、7人が日本舞踊の稽古を行っています。  現在、森岳公民館まつりに向けて、新しい舞踊を練習しています。  会の代表の園田美都子(そのだみつこ)さんは「若い人から年配の人まで踊りが大好きな人が集まって、楽しく練習しています。日本舞踊という素晴らしい日本の文化を皆さんにも知ってもらえれば」と話してくれました。  また、会員に話を伺うと「日本舞踊だけでなく、礼儀作法や着物などすばらしい日本文化に触れることができ、とても楽しいですよ」と話してくれました。  会では、日本舞踊に興味のある会員を募集しています。まずは、見学だけでも気軽に声をかけてくださいとのこと。  皆さんも、日本の伝統文化に触れてみてはいかがでしょうか。  詳しくは、森岳公民館(63-2242)へ問い合わせてください (写真3枚)日本舞踊の稽古の様子