17世紀初頭に松倉重政が島原城を築城した時、外郭の西に接するこの一帯に下級武士の屋敷街が造られました。
この時に飲料水などの生活用水として、ここから2キロほど離れた杉谷村の水ノ権現(熊野神社)から水路を引き、湧水を流し続けていました。以来400年近く武家屋敷と水路が当時の姿のまま残っています。藩政時代にはチフスや赤痢、コレラの悪疫が流行したため、藩では特に川による伝染に留意し、川奉行という名の看視人をおいて厳しく管理していました。
現代になっても地域住民が水路を大切に扱い、このように綺麗に保存されています。今では島原を代表する水の名所として、毎日たくさんの観光客が訪れます。