病気と植物
人類の誕生とともに病気になることは避けられないことでした。紀元前3500年頃は、病気になるのは悪霊が体に取り付いたためであり、それを追い払えば良くなると信じられていました。動物の肉や血などを原料としたものと一緒に植物を使用し体内の悪魔を追い出そうとしていました。煎じて飲んだり燻煙剤として使用したり、塗り薬として使われていました。つまり、呪術と密接だったわけで、その理解しがたい効果のために後のヨーロッパに起こった「魔女狩り」となるのです。
また植物は、病気の治療のみならず、健康の維持や調味料にも使用し、芳香性のあるものは香料としても利用してきました。ヨーロッパではこのような植物をハーブと称します。
薬草の起源
最も古いのは、インドの伝承医学「アーユルヴェーダ」(紀元前3000〜5000年)で、今のアロマテラピーもその処方箋のひとつです。
紀元前3000年のエジプトやメソポタミアの時代の人々は、既にハーブについての複雑な知識を持ち、エジプト中王国時代の医書「パピルス・エーベルス」には、没薬(モツヤク)や乳香(ニュウコウ)のようなハーブが利用されていたという記録が残っています。
東洋では、これらの植物をさまざまな形で混合し漢方薬を作ったり、またこの知識を生かし、薬膳として料理にも利用します。中国では紀元前1000年に鍼灸の原典「黄帝内経」という健康の原理に関する本が記されています。
ヨーロッパでは、ギリシャ・ローマの時代に、医学の父ヒポクラテス(紀元前460年頃)の処方に「ハーブの煮出した液を飲む」とあります。紀元前300年になると「植物誌」が記され、20世紀初期に近代医学に影響を与えた「薬物誌」が発行されてここに600余種のハーブが紹介されています。また、中世の修道士は医師の役割もあり、修道院の中には薬草園が作られていました。ハーブの処方は修道院独自のもので門外不出で採取も特別の人だけに許されていたそうです。イタリア・フィレンツェの「サンタ・マリア・ノヴェッラ薬局」の起源は13世紀、ドミニコ会修道院薬局にさかのぼります。ドミニコ会修道僧達は自ら薬草・花を栽培して、僧院内にある薬局で薬剤・軟膏・鎮痛剤等を調合してきました。メディチ家のカトリーヌがフランス王家に嫁いだ時、ここで処方した香水を持参しました。そのレシピのままの製品が今も売られています。ルネサンス以降、さまざまな利用法が開拓されたハーブは、産業と結びつき巨富をもたらします。そして、ヨーロッパ各地に薬草園や植物園ができ、より専門的なハーブの研究が始まります。
日本では、欽明天皇時代に医術・薬物・暦・易などが渡来し、推古天皇時代には「薬草は民を養うのに必要」として、薬草の採取・貯蔵が奨励され、推古19年(611年)には大和菟田野で「薬狩り」(5月5日)が催されました。これが菖蒲の節句の始まりです。