鉄砲町の歴史
島原城の西側に広がる武家屋敷地は、鉄砲を扱う藩士が居住していたことから鉄砲町とも呼ばれています。下ノ丁の道路中央を流れる用水をはじめとし、武家住宅が残る歴史的景観を今日に伝えています。
鉄砲町は、元和(げんな)4年(1618年) から始まる島原城の築城とその城下町建設に伴って、成立しました。
当初は、下ノ丁、中ノ丁、古丁の三筋でしたが、寛文(かんぶん)9年(1669年)に松平氏が島原藩主となった後、下新丁、上新丁、新建、古丁新建が建設されました。
鉄砲町の東側には、江戸丁がありますが、これは、文久(ぶんきゅう)3年(1863年)から慶応(けいおう)元年(1865年)にかけて、江戸詰めの藩士が島原へ帰任(きにん)したことに伴い、成立しました。
肥前島原松平文庫所蔵『島原藩士屋敷図(しまばらはんしやしきず)』には、元治(げんじ)2年(1865年)の鉄砲町の様子が描かれており、宅地の総数は699筆を数えます。
島原の歴史を刻む鉄砲町。先人の営みに思いをはせて、訪ねてみてはいかがでしょうか。
○参考文献:「島原市鉄砲町伝統的建造物群保存対策調査報告書」島原市 平成21年3月
(『広報しまばら』平成24年6月号「ふるさと再発見」)
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【写真】島原藩士屋敷図(肥前島原松平文庫所蔵) |