【碑文】平成2年11月17日 198年ぶりに活動を開始した雲仙普賢岳
美しい紅葉に包まれた山頂から一条の白煙をたなびかせ、まるで一幅の絵を想わせる光景を呈しながら僅か半年後にふる里を焼き尽くすあの大災害をもたらそうとは、このとき誰が予想し得たであろうか。
翌3年6月3日に発生した想像を絶する大火砕流は消防団員をはじめ警察官、外国人火山研究者、報道関係者などなど四十三名の尊い人命を奪い、先祖伝来の山や畑、住み慣れた家屋やふる里まですべてを焼き尽くし、また、平成5年6月23日の大火砕流でも一命が奪われた。
その後、繰り返し発生した火砕流や土石流、更には降灰等により被害が拡大し、全市的にかつてない大きな損害を受け、まさに島原市の存亡を懸けた災害との斗いを余儀なくされた。
ここに市民の生命と財産を守るため身を挺し火山のメカニズム解明に命を懸け、報道の使命に情熱を燃やしながらも志半ばに無念の犠牲となられた四十四柱の御魂に哀悼の誠を捧げるとともに、とこしえに安らかなることを祈念し、併せて、島原市の復興と発展を誓い、更には、この厳然たる自然の営みと史実を末永く後世に伝えるため全市民の総意を刻し、この追悼碑を建立する。
平成7年6月3日 島原市長