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中木場水道

 

中木場水道

『岩上山麓に水の湧き出すところがある』と神のお告げから・・・

中木場水道
寛政4年(1792年)の島原大変は島原領内の村々へ大きな被害を与え、特に普賢岳の山麓にある中木場村(島原市安中地区)は大きな被害にあいました。
普賢岳の噴火で避難を余儀なくされ、大地変のために村内の水脈が枯れ、飲料水は不足し水田は荒地になってしまい、村のどこを掘っても水が出ず、村民は4キロも離れたところから飲み水を運ぶという日常生活が出来ない状態が20年近く続きました。
そこで、庄屋下田吉兵衛を中心に村人は6年の歳月と労力を費やし水源を探しまわり、18ヶ所で井戸を掘りましたが水は出ませんでした。
ある夜、夢枕で「岩上山麓に水の湧き出すところがある」と神のお告げがあり、翌朝行ってみると水源を発見することができました。
集まった村人とともに喜び、村まで水路を引く計画を立て、約5キロの間、木桶で水を引き、文政4年(1821年)9月に完成しました。
おかげで村内300戸、7町の田畑がその恩恵をうけました。
その後吉兵衛は夢枕に立たれた神様を大宰府天満宮の神様と確信し、その分けみ霊をいただかれ、現在の天神元の地に、天満宮水権現としてお祀りしたそうです。
しかし、年とともに木桶の水道はいたみがひどく、年々の修理費がかさむので、安政5年(1858年)孫の下田吉左右は水路を切石で囲い、漆喰で固め、幅1尺5寸(45センチ)、深さ7寸(20センチ)、総工費65貫文で水道を改修しました。
長年村人に清水川として利用されてきましたが、水道事業の普及でしだいに忘れられ、平成の普賢岳噴火災害で、繰り返し襲う火砕流と土石流のために岩上山の水源は厚い土砂に埋没しました。
現在は天満宮神社に清水川の一部と水汲み場の梅型の水盤が残っているだけです。
まゆやまロードで分断された部分は、清水川遺構として平成町(雲仙岳災害記念館の敷地内)に移設・保存され、下田吉兵衛の偉業を永久に後世に顕彰し後世に伝えるために平成17年9月に天満宮神社の敷地内に石碑が建立されています。

 

ギャラリー

中木場水道  中木場水道
中木場水道  中木場水道

施設情報

【場所】長崎県島原市天神元町
 

※本記事は、島原観光情報発信サイト「島原旅たより」(平成25~27年)の内容を基に作成しました。


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