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九十九島と島原湊

 

九十九島と島原湊

眉山崩壊で発生した地形がそのまま島や港に

寛政4年(1792年)の島原大変で眉山が崩壊したことで、4億4千万立方メートルの土砂が人家や田畑を飲み込み有明海に流れ込みました。
その時に出来た島々が「九十九島」と呼ばれています。
当時は59島あったそうですが、今では崩壊したり陸続きになったりして島数も少なくなっています。また、このとき海岸線が約8百メートルも押し広げられて、77万平方メートルの土地が生れました。
陸には多くの丘や小山、池沼、海には島影やいくつもの入り江が出来て、「島原湊」が形成されました。島原湊は有明海沿岸唯一の良港となって、島原の町は急速に発展していきました。
鉄工所、船具屋、水産乾物問屋が立ち並び、いつの間にか遊女の館まで軒を並べて、多くの庶民がいききするようになりました。
やがて島原湊の将来の発展を見込んで、遠くから移住する商人達も増えていき、沢山の帆船が潮待ち風待ちのために縁を並べ大変賑わっていたそうです。
当時九州を旅していた松江藩校敎授・桃節山は、島原を訪れた際の日記に「この湊は珍しき良き湊にて、七~八十石、千石くらいの大船が川内へ来て着ける。湊より直ちに帆を揚げて船を出せる地なり」と綴っています。
 

ギャラリー

九十九島と島原湊 九十九島と島原湊
九十九島と島原湊
 
 

ビューポイント

【景観ポイント】雲仙災害記念館 仁田団地第一公園 秩父が浦公園

●雲仙災害記念館

 
●仁田団地第一公園
 

●秩父が浦公園

 
 ※本記事は、島原観光情報発信サイト「島原旅たより」(平成25~27年)の内容を基に作成しました。






 

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