島原の精霊流しは300年以上の伝統を誇っています。
島原の乱後、新藩主・高力忠房は人々の心の安定化を図るため、神社仏閣を再建させ、 仏教を盛んにしました。
その一つが盂蘭盆の夜の精霊船での送り出しです。 文化8年(1811年)の島原藩御触類集に 『鉄砲町にて藁船を造り、聖霊送り、諫早門下へ送り流し候節、三味線等持参、 明方迄も酒宴に及び候趣相聞き、宜しからざる段、御沙汰の事』との表記があり、 その風習が広く広まっていたことがわかります。
15日は日暮れと共に町内に待機した精霊船が、初盆を迎えた家から出された切子とうろうを飾り、 若い者に担がれて出発します。
『ナマイドー、ナマイドー』と声をかけながら進み、初盆の家や各地の広場で 右に左に錬り回ります。
船は町内を一周した後、流し場へと運ばれ、有明海へと流されます。
切子とうろうにロウソクを灯した精霊船が、闇夜の有明海に浮かぶ姿は幻想的で美しいものです。
※切子とうろう・・・(読み)きりことうろう
令和6年度 精霊船隻数
三会地区
■お旅所(洗切町)・・・・3隻(海上係留3隻)
■三会新港・・・・・・・・3隻(陸上集積3隻)
杉谷地区
■前浜海岸・・・・・・・・1隻(陸上集積1隻)
森岳地区
■猛島海岸(猛島神社)・・12隻(うち、海上係留9隻・陸上集積2隻)
霊丘地区
■湊新地海岸・・・・・・・1隻(海上係留1隻)
■霊南埋立地・・・・・・・1隻(陸上集積1隻)
白山地区
■湊新地海岸・・・・・・・6隻(海上係留6隻)
■霊南埋立地・・・・・・・2隻(陸上集積2隻)
安中地区
■安徳海岸(ヘリポート付近)・・10隻(陸上集積9隻・その他1隻)
■湯江漁協・・・・・・・・1隻