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ふるさと再発見「松平忠房の蔵書印 松平文庫の『シンボルマーク』」

 

「松平忠房の蔵書印 松平文庫の『シンボルマーク』」

 松平文庫のさまざまな文献の中の一群に、松平家として初めて島原の藩主となった松平忠房(まつだいら ただふさ)(1619~1700)ゆかりの古写本群があります。しかしながら、それらの本を書き写した日付や入手した日付は、本の中や文献にあまり記されていません。それでも、忠房にゆかりのある書物だとわかるのは、これらの末尾に蔵書印が押印されているからです。
忠房の蔵書印は「尚舎(しょうしゃ)源忠房」と 「文庫」の印がセットになって押されています。忠房の家系( 深溝(ふこうず)松平家)の当主は、忠房の父・忠利(1582~1632)以降、代々「主殿頭(とのものかみ)」という官職を名乗っています。主殿頭は、皇室の事務をつかさどる宮内省の管轄である「主殿寮(とのものりょう)」の長を意味します。「尚舎」は、主殿寮を中国風に呼んだ名称(唐名(とうみょう))である「尚舎局」に由来します。唐名は、正式な文書には用いられないので、なじみの薄い名称ですが、水戸徳川家が代々名乗った官職「中納言」の唐名である「黄門」を聞いたことはありませんか。「幕府」も、実は将軍(征夷大将軍)の唐名です。また、松平家が源氏に由来する家柄であると伝えられていることから、「源忠房」と名乗っています。もう一つの印 「文庫」についてですが、今のところは、文庫とは文献の集まりを示す言葉と考えられ、実際に書物を収める建物の「文庫(ふみのくら)」を特設していたかについては、まだ解明されていません。
(松平文庫学芸員 吉田 信也(よしだ しんや))
(『広報しまばら』平成25年6月号「ふるさと再発見」)

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039+201306松平忠房の蔵書印 松平文庫の「シンボルマーク」(平成25年6月号)明暦元朝鮮人来朝記 蔵書印部分.jpg

【写真】土佐日記(肥前島原松平文庫蔵)

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