『石垣御修復控』 島原城石垣修復の記録
平成24年6月、九州・山口地方を襲った大雨により、島原城の石垣が崩れました。懸命の復旧工事は、単に石垣を積み直すだけではなく、江戸期の石積みの技術や旧状を解明するための発掘調査を行うなど、価値ある「文化財」として石垣を未来に継承するための工事として行われました。
江戸時代にも、石垣が度々崩落し、それに伴う復旧工事が行われてきたことは、遺された数々の資料からも確認することができます。中でも今回紹介する資料は、1848年(弘化5・嘉永元)の工事の経過が日記体で事細かに記され、修復の工程や動員のことなどを解明する重要な手がかりとなり得る資料です。
この工事には、普請方(ふしんがた)や賄方(まかないがた)といった藩士、棟梁以下さまざまな階層の石工、賃雇の作業員から、さらには島原半島中の村ごとに交代で、多い村で百人規模の農民が手伝方として参加しました。遠方の村から来た者を受け入れるための仮設住宅も、今の市役所あたりに設けられています。
工費や人件費が決して潤沢ではない中で、重要になったのが酒。毎日のように振る舞われた酒が、作業に従事する多くの人たちの労をねぎらいました。また、その様子を見て、酒を献上する者も現れました。
現在、修復工事に直接携わることができる人は限られますが、まずは石垣に目を向けてみてください。数百年の時を経て今、目にすることができる石垣の姿の裏には、多くの人たちが携わりながら修復を重ねた「石垣の歴史」が、確かにあるのです。
(松平文庫学芸員 吉田 信也)
(『広報しまばら』平成25年10月号「ふるさと再発見」)
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【写真】石垣御修復控 |