島原市内のロケーション紹介
(1)島原城
(2)武家屋敷
(3)古民家・湧水庭園
■旧小早川家住宅 ■旧堀部邸 ■湧水庭園四明荘 ■しまばら湧水館
(4)アーケード・商店街
(5)まちなみ
(6)海岸・有明海
(7)島原鉄道 大三東(おおみさき)駅
(8)市庁舎(本庁舎・有明庁舎)
(9)学校・保育園
(10)交通規制可能な道路
(11)消防団詰所
(12)花(梅・桜・ポピー・菜の花・蓮・コスモス)
(13)公共交通機関(鉄道・バス・フェリー)
(14)たべもの・特産品
(15)舞岳山荘
(16)日本の一号機関車が走った島原鉄道
(1)島原城
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夜空に浮かび上がる島原城「島原城キャッスルモンスター」 |
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四百年前の島原城を舞台に活躍した武将隊が島原城を拠点に日々観光客のおもてなしや県内外問わずに島原城・島原市のPRを行っている。 左から:島原藩七万石二代目藩主 松平忠雄、島原城三代目城主 高力忠房、日野江藩初代藩主キリシタン大名 有馬晴信、天草四郎時貞 |
(2)武家屋敷
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水路の延長406.8メートル、幅長5.6メートル |
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武家屋敷(山本邸) |
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武家屋敷(山本邸) |
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武家屋敷(山本邸) |
(3)古民家・湧水庭園
旧 小早川家住宅 【国登録有形文化財】
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主屋は明治23年築造 |
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敷地内には二本の湧水路が引き込まれている。 |
旧 堀部邸
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1848年(嘉永元年)に建築された島原で一番古い古民家 |
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湧水のせせらぎのある庭 |
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昔ながらの土間 |
湧水庭園 四明荘(しめいそう) 【国登録有形文化財・国登録記念物】
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庭園には大小3つの池があり、1日3000トンの水が湧き出ている。 |
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夜間ライトアップ |
しまばら湧水館
(4)アーケード・商店街
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島原のアーケード内には、たくさんの湧水スポットがある。 |
(5)まちなみ
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島原駅前交差点 |
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島原駅前交差点 |
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森岳商店街(酒蔵前通り) |
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森岳商店街 |
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森岳商店街 |
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広馬場町 |
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元船津町 |
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元船津町 |
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大下町 |
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大下町 |
(6)海岸・有明海
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湊町 |
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湊新地町 |
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霊南 |
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猛島海岸 |
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猛島海岸 |
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島原港からの朝日 |
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九十九島からの朝日 |
(7)島原鉄道 大三東駅(おおみさきえき)

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朝日 |
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黄色い車両と幸せの黄色いハンカチ |
(8)市庁舎
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令和2年4月完成 |
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有明庁舎 |
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有明庁舎 |
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有明庁舎 |
(9)学校・保育園
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島原市立第五小学校 |
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島原市立第五小学校 |
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島原市立第五小学校 |
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島原市立第五小学校 |
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島原市立第二中学校 |
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愛児保育園 |
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愛児保育園 | 愛児保育園 |
(10)交通規制可能な道路
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旧県道(火張山花公園内)片側一車線 約230m |
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県道58号(焼山) 片側一車線 約400m |
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平成新山ネイチャーセンター付近 片側一車線 約800m(林道) |
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島原復興アリーナ周辺 片側一車線 周辺総延長 約2km |
(11)消防団詰所
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島原市消防団 第14分団 |
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島原市消防団 第14分団 |
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島原市消防団 第14分団 |
(12)花
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花木公園(梅) |
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島原城(梅) |
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島原城(桜) |
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下折橋神社(桜) |
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火張山花公園(菜の花・桜) |
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火張山花公園(菜の花・桜) |
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火張山花公園(ポピー) |
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島原城(蓮) |
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火張山花公園(コスモス) |
(13)交通機関(鉄道・バス・船)
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島原鉄道 島原駅 |
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島原鉄道 島原駅 |
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島原鉄道 島原船津駅 |
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島原港ターミナル |
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島原港ターミナル・島鉄バス |
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九商フェリー(島原~熊本) |
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熊本フェリー(島原~熊本) |
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三池島原ライン(島原~福岡県大牟田市三池港) |
(14)たべもの・特産品
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かんざらし |
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具雑煮 |
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黒望 | かすまき |
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がんば最中 | ざぼん漬け |
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島原手延べそうめん | チェリー豆 |
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イギリス |
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がんば(ふぐ)のガネ炊き |
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有明ガネ | 六兵衛 |
(15)舞岳山荘
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施設とフィールドを丸っと使用可能 |
(16)日本の一号機関車
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| 鉄道博物館(埼玉県さいたま市) |
 1号機関車が島原鉄道で愛されていた証
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【日本の1号機関車が走った島原鉄道】
明治5年新橋~横浜間鉄道開業時の機関車が(当時の)島原鉄道に集結。
1872年(明治5年)新橋〜横浜間を走った“日本の1号機関車”は、1911年(明治44年)に鉄道院より払い下げを受け、同年に開通した島原鉄道でも「1号機関車」として活躍しました。
島原鉄道で20年程活躍した後、車体保存の話がもち上がり、1930年(昭和5年)、いよいよ博物館入りが決まると島原駅で盛大に送別式が行われました。
その際に、島原鉄道の初代社長である植木元太郎が、苦楽を共にしてきた機関車ゆえに、別れを惜しみ、これまでの感謝の意を込めて「惜別感無量」と記したプレートを車体に取り付け送り出しました。
その後、「1号機関車」は鉄道記念物(1958年指定)となり、国の重要文化財(1997年指定)にも指定され、現在はさいたま市の鉄道博物館に保存展示されています。