島原の乱以後、島原のキリシタンは壊滅状態であった。しかし少数ながらも隠れキリシタンによって信仰は守られていた。禁教令の時代を経て現在も残る文化財は、一見キリスト教に無関係であるように見せている物や、地蔵の姿を借りている物まで様々である。
杉谷山寺地区、竜源山西方寺の共同墓地内にあるキリシタン墓碑(県指定史跡)。
自然石の前面に浅い窪みをつけ、その中に台つきのカルワリオ十字紋が平彫りされており、側には「まだれいな」と刻まれています。
墓碑の銘のマダレイナとはクリスチャンネームで、女子信者につけられたものだそうです。
島原半島はキリシタン信仰が盛んだったところで、各地にキリシタン墓碑が100あまり残っています。
多くはカマボコ型や箱型の寝墓が多いのですが、マダレイナの墓は高さ74cmと横65cm、厚さ30cmあまりの安山岩の自然石を使っており、非常に珍しい立碑だそうです。
軽石質の家型石で正面を四角形にくり抜き、その中に地蔵が浮き彫りされている。その背面部には十字が明確に彫られている。地蔵像は全体が丸と十のクロスロザリオ記号「示」という字を象徴している。示偏は神を象徴する字である。地蔵がキリシタンの隠れ造形に使用されるのは、既に多くの先覚が発表している。
慶長から元和期の作品であろうと推察される。
表面部には2体の地蔵が彫られている。円筒型で高さ約40cm、底に十字が明確に刻まれている。材質は安山岩で、慶長から元和期のものと思われる。
背面部は火袋、蝋燭立てになって、側面には文字のあとが見られるが削り取られている。隠れキリシタンが観音や地蔵にマリア、キリストを仮託したのは、慈悲信仰、慈母信仰として両者に相通ずるものがあったからだといわれている。隠れキリシタンが秘かに礼拝ミサ等を行っていたのではないかと思われる。
十字形を彫ったキリシタン碑で三島氏宅に建てられていたが、三島氏は大野村の地蔵山から入手したと伝えている。天正時代大野城の大野山城守はキリスト教に入信しているのでそのゆかりのものであろう。
平成元年8月、二ツ石の三島連城氏により町に寄贈された。