有明町大野浜の海岸沿いには、珍しい「ボラ塚」があります。 海の子宮、揺り籠とも呼ばれる豊かな有明海には、昔、古代から続く漁法の石干見(スクイ・スキ)が多く見られました。
石干見は、有明海の干満の差が大きいところに目をつけて生み出された漁法で、海岸線に半円形を描くように丸石を並べて積み上げ、満潮時にそこへ集まった魚類が干潮になると取り残されるという仕掛けです。
明治14年(1881年)1月2日、この大野浜にあった石干見には、今までに見たこともないボラの大群が黒山のように重なり合って泳いでいたそうです。
その量は約140トンと言われ、それを一目見ようと湯江・大野村はもとより、三会・杉谷村、土黒村など隣町からも見物人が押し寄せました。なかには、警戒の目を盗んで持ち去るものもいたといいます。こうして、1夜にして大金持ちになった「ぼらどん」こと松本栄三郎さんが、感謝の気持ちとボラの供養のためにと「ボラ塚」を建てました。この供養塔の土台は、石干見の丸石を積み上げて作られています。