「礫石原環状石組遺構」がある島原市礫石原町は、三会扇状台地の最西部に当り、標高270mに及ぶゆるい傾斜台地です。
ここ一帯は、藩政時代には砲術訓練の着弾地で、明治維新ごろは禄を放れた旧藩士達の牧場となっていた地です。第二次世界大戦後まもなくして、未耕地約70ヘクタールが開墾地に指定され、昭和21年(1946年)に入植がはじまり開墾が進むと、押型文土器や鍬型石器、板状偏平石器など縄文初期の重要な遺物が大量に発見され、同時に、2メートル四方の「礫石原環状石組遺構」が発見されました。
「礫石原環状石組遺構」は、縄文時代の埋葬施設の中心となるものです。当時この附近からは合口甕棺4基のほか焼灰の集積、集石墓10基の集積が次々と確認されており、埋葬祭祀共同体を構成する重要な遺構といわれています。
「礫石原環状石組遺構」は、昭和59年1月10日に島原市指定有形文化財になりました。有明海と雲仙岳に囲まれた島原の地は古代から豊かな地で、そのため今もこのような遺跡が数多く残っています。