スクイ(石干見)
縄文・弥生時代の大昔から行われていた漁法
有明海は干満の差が大きく、5~6mにもなります。それに目をつけて生み出されたのがスクイ・スキ(石干見)漁で、縄文・弥生時代の大昔から行われていた漁法です。
海岸線に半円形を描くように丸石を並べて1~2mほど積み上げ、そこへ満潮に乗って集まった魚群は、干潮になると海水が丸石の間から流れ出てしまい取り残されるという仕掛けです。
こうして、春にはボラやシマウチ、夏にはスズキやハダラ、ムツゴロウ、冬にはシクチと、色々な魚が獲れ、一年を通して有明海の豊かな恵みを得ていました。
江戸時代に書かれた「島原大概様子書」によれば、領内には200ヵ所の石干見がありました。北は山田村(吾妻町)から南は口之津村まで有明海沿岸に広がっていたそうで、市内では湯江村13ヵ所、大野村14ヵ所、東空閑村2ヵ所、三之沢村11ヵ所、三会村10ヵ所、200間から40間の長さのものがありました。
昭和40年代からノリの養殖事業が盛んになった事や、コンクリートの堤防をつくって海岸線が整備されたことで、ほとんどの石干見が取り壊されましたが、今でも、大手浜に見ることができます。
現在は年に一度スクイ祭りが開かれ、たくさんの来場者に喜ばれています。
ギャラリー
施設情報
【場所】島原市役所から熊本方面へ。海岸沿い。
※本記事は、島原観光情報発信サイト「島原旅たより」(平成25~27年)の内容を基に作成しました。