桜井寺は、有馬直純領主がキリシタン弾圧を強化していた頃、徳川家康の命令で領民撫育のために幡随意上人が開かれた由緒ある古い寺です。
寛政4(1792)年の島原大変で倒壊し埋没しましたが、ほぼ同じ場所に再建され、この時期に流死無縁供養と地蔵大菩薩像も建立されました。
碑文には、二童子と三童女の戒名が刻まれています。
施主は不明ですが、島原大変でわが子を亡くした親が大乗経を書写して供養し、同時に多くの子どもたちの霊を弔うために地蔵菩薩像も建てられたのだろうと言われています。
島原大変時の子どもの供養塔は大変珍しく、現在は社に祀られています。