猛島海岸沿いに、高さ1間(1.8メートル)、幅1.5尺(45センチ)の「流死者菩提供養塔」があります。
寛政4年(1792年)の島原大変時、ここ田町浜にも多くの溺死者が打ち上げられており、それを惜しんだ島原藩が晴雲寺に供養をさせ、寛政5年2月28日に建立したものだそうです。
島原藩が建てたこのような大型供養塔は、多比良村、三会村(三会町)、島原村(田町)、安徳村(南崩山町)、布津村、隈田村、南有馬村の7箇所に同形、同碑文の供養塔があり、その地の寺院に命じて供養させました。
石材は良質の安山岩が使われていて、ここ田町の供養塔は、今でも地域の方々の手で供養が続けられています。