湊地区にある集落のうち、白土船津と有馬船津は島原大変以前よりありました。
寛政の大地変後島原の地形は大きく変わり、船津地区も元船津、浦田船津、白土船津、有馬船津の4集落と拡大し、現在の元船津一帯は白水川の河口で船だまりとなっていました。
それが明治以来埋め立てられて集落と変わり、元船津の共同井戸の側に大きな恵比須様が祭られています。漁業者の信仰が厚いこの恵比須様は高さ1メートルと大型です。
その海岸線に湊と町を繋ぐ道があり、そこへ白水川をまたぐように橋が架けられました。
それが今も残る津町のめがね橋です。
島原大変前にはこの辺一帯は海の中で、できた陸地には清水が湧き出していました。そこへ漁民が集まり「船津」がつくられ、浜ン川(浜の川湧水)と呼ばれるようになり、現在でも地区の生活用水として大切に使われています。