島原城跡
島原城は、1618(元和(げんな)4)年に松倉重政(まつくらしげまさ)が着工し、1624(寛永元)年に主要部分が完成したと考えられます。
県内の藩庁として機能した城の中では、敷地面積や櫓・門数、建築・石垣の規模の点で最大の城郭です。
中心部は、本丸・二ノ丸・三ノ丸が南北に並ぶ構造で、その周囲には家臣団屋敷を取り込んだ外曲輪を構えて城の外郭線を形成しています。敷地全体の規模は、東西約350メートル、南北約1200メートルで、平面は長方形を基調としています。
中世から続く森岳城を踏襲し構築された城郭で、江戸時代に幕府が新規築城を原則禁止していた中で築城が許された全国的に見ても数少ない城郭です。
その内部構造は極めて特徴があり、大手口から二ノ丸へ経て本丸の天守に至るまでの複雑な城道(しろみち)や30基を越える外曲輪の櫓群(やぐらぐん)など、防御を意識した堅固な遺構が残っています。
また、本丸北半分を占める広大な虎口空間の石垣には、桃山時代からの伝統的な様式の鏡石・立石が認められる一方、各曲輪の高石垣の隅角部分には江戸時代前期の先進的な算木積みの技法を見ることができ、慶長から元和の築城技術の転換期の様子が良く残っています。
島原城の文化的な価値が認められ、平成28年2月18日には、長崎県指定史跡となりました。
(『広報しまばら』平成28年4月号「ふるさと再発見」)
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県指定史跡「島原城跡」 |