島原城築城にまつわる伝承
1616年(元和2)に大和国五條から移ってきた松倉重政(まつくら しげまさ)は、島原に新しく城を築こうと今村を見分していました。
その夜、重政は「今村より北に森岳という山がある。そこは将来繁栄する城地である」と夢で告げられます。そのお告げに従い、重政は森岳に城を築きました。
これは『島原大変記』(『島原半島史』所収、他)の中で古老の言い伝えとして記されたエピソードです。このお告げを「仏神の御告」と称し、仏神の加護によって災害から島原城が救われたと『島原大変記』では尊ばれています。
実際、1792年(寛政4)の島原大変では、城下で壊滅的な被害を受けた所もあった中で、島原城は大きな被害を受けずに済みました。
今村は古絵図に「今村名」として江東寺の南側に描かれていますが、島原大変によって埋没します。ちなみに、今村刑場は名前を引き継いで大変後に場所を移して新設されており、その跡地が「今村刑場跡」として今に伝わっています。
重政の夢のお告げの真偽は今となっては知るすべもありませんが、江戸後期にこうした伝承があったことは確かです。
今村と森岳。被災状況はあまりにも対照的でした。それだけに、この伝承が印象に残ります。
(松平文庫学芸員 吉田 信也(よしだ しんや))
(『広報しまばら』平成26年9月号「ふるさと再発見」)
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『島原大変記』(九州大学蔵) |