島原城址(じょうし)からの眺望
大正から昭和初期までの新聞を見ると、要人が島原城址を訪れたという記事をいくつか拾い上げることができます。
1924(大正13)年7月9日、佐世保鎮守府長官 伏見宮博恭(ふしみのみやひろやす)が島原を視察しました。本丸に登り、街の様子を眺めながら島原の乱や島原の地誌などについての説明を受けました。サイダーを飲みつつ、「熊本はどの方角だ」、「ああ、あの山の向こうか」と言ったことまで記されています。
同年11月21日、フランス大使ポール・クローデルは、雲仙を目指して、三池(現福岡県大牟田市)から三井物産の汽船諏訪丸で南風楼前に上陸しました。南風楼で小休止する予定を変更して向かったのが島原城址です。
同行した商務官および通訳とともに、晩秋の島原の眺望にしばし見入っていたということです。
軍事参事官で前陸軍大臣の荒木貞夫(あらきさだお)が訪れた1934(昭和9)年10月11日の記事には、荒木が「意味深長の感慨を漏らし」とあります。時を忘れて眺望に見入る様子とともに、当時の不穏な時勢が記事から垣間見えます。
眺望は時の移ろいとともに変化していきます。例えば城址からの景観もまた文化的遺産だと意識して見れば、普段何気なく目にするまちの姿が違ったものに見えるのかもしれません。
いつもと違った風景を探しに島原城に登ってみませんか。
(松平文庫学芸員 吉田信也(よしだ しんや))
(『広報しまばら』平成28年2月号「ふるさと再発見」)
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大正13 年11月21日付島原毎日新聞 「フランス大使ポール・クローデルが来島したときの記事」 |