『御所替(おんところがえ)一件』 「悲願」の島原復帰
1774年(安永3)6月、下野(しもつけのくに)国(現 栃木県)宇都宮藩主・松平忠恕(ただひろ)に島原への「所替」の命が下りました。兄の忠祇(ただまさ)が島原から宇都宮へ移されて25年、再び島原の地に戻ることとなったのです。
今回紹介する資料には、江戸で下された所替の命や、所替に際しての掟書、あるいは引継ぎ相手、すなわち前の島原藩主であり、かつ次の宇都宮藩主でもある戸田氏側とのやりとりなど、この時の「殿様の異動」についての事蹟が記されています。
この資料は、所替の具体的な様子はもちろん、所替を命じられた忠恕の心情もうかがい知ることができるという点で貴重なものです。
忠恕は「旧領」、すなわち以前の所領であった島原に移ることを「大望」「大慶」あるいは「本望之至(ほんもうのいたり)」という思いでありがたく拝命しています。江戸時代に各地で数多く行われた所替も、状況によって当事者の思いは悲喜こもごもでしたが、この時の所替は忠恕にとって「喜」であったことが分かります。
「旧領復帰」の思いを募らせた背景には、忠恕が宇都宮藩主であった12年ほどの間に、水害による不作や、幾度かの領民の暴動などの困難に直面したこともあったのかもしれません。
旧領復帰を果たした忠恕ですが、戻ってきた島原でも、20年足らずの1792年(寛政4)「島原大変」という未曾有の困難に遭遇し、同年4月27日、悲運の人生を終えました。
(松平文庫学芸員 吉田 信也)
(『広報しまばら』平成25年11月号「ふるさと再発見」)
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【写真】御所替(おんところがえ)一件 |