溶岩ドームの成長とともに、火砕流の到達距離が長くなりました。平成3年6月3日に発生した大火砕流は、巨大な黒煙を上げながら水無川に沿って猛スピードで流れ落ち、北上木場地区を飲み込みました。避難勧告地区内で警戒中の消防団員、警察官、取材中の報道関係者などが巻き込まれ、死者40人、行方不明3人という犠牲者を出しました。また、人家や農地、山林などを広範囲に焼き尽くしました。
続く火砕流被害
6月8日にはさらに大規模な火砕流が発生。人的な被害はなかったものの、火口から6キロメートル下流の国道57号付近まで到達し、207棟の家屋が焼失、倒壊しました。
9月15日には普賢岳北東斜面で最大規模の火砕流が発生。おしが谷を下り、先端は上木場地区に到り、白谷町に達しました。また、火砕流に伴う広範囲な熱風によって、深江町大野木場地区、島原市上木場地区で、住宅・山林火災が発生し218棟が焼失、倒壊しました。
平成5年5月~6月にも大規模な火砕流が発生しました。新たに中尾川方面で治山ダムを越えて南千本木地区の集落に達しました。6月23日には1名の犠牲者が発生。6月24日には県道愛野島原線を飲み込み、6月26日には初めて国道57号を越える地点まで火砕流が到達しました。
9432回の火砕流
噴火活動が終息するまで、実に9432回の火砕流が発生。一日最多の記録では平成6年8月25日の68回が数えられます。溶岩の総噴出量は2億4千万立方メートル、福岡ドームの136杯分、東京ドームの190杯分。島原市民は、いつ果てるともしれない火砕流の恐怖とともに生活を続けました。