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弁天山大師堂「天如塔」

 

弁天山大師堂

雲仙普賢岳で霊感を得て

弁天山大師堂
かつては島原の港に浮かぶ松島と呼ばれ、宗像社と弁財天を祀る島でした。
寛政4年(1792年)の島原大事変で眉山が崩壊したことで周りが埋まり、そのまま小山として残ったのが、ここ弁天山です。
明治33年(1900年)この弁天山に岡山県出身の廣田言証師が理性院(大師堂)を開きました。言証師は40代で不治の病にかかり病弱でしたが、四国88ヶ所の巡礼や、日本全国の霊場を巡り歩いて弘法大師の教えを広めました。
苦行の中、雲仙普賢岳で霊感を得て、明治28年(1895年)9月、弁天山に太山寺教会所として大師堂を開山しました。
その後、言証師は東南アジアに渡ってインドの仏跡を巡拝して回り、その際に60cmあまりの大理石の釈迦如来像を奉持して帰国しました。
これを安置するために、明治42年(1990年)台山天如塔を建てました。

台山天如塔は『からゆきさん』と呼ばれる、島原の悲しい歴史の記録でもあります。
明治から昭和初期にかけて、島原半島や熊本県天草地方の貧しい家庭の娘たちは、外貨獲得の為東南アジアへ売られていきます。
からゆきさんと呼ばれた彼女たちは、ほとんどが外国での過酷な環境の中死亡し、故郷に戻ることはできませんでした。
廣田言証師は南方の巡礼先で彼女たちの供養を行います。
その行いが生き延びたからゆきさんたちの帰依を呼び、天如塔建設への寄進となりました。
周囲にある人名・地名・金額が彫られた無数の古い玉垣はその記録です。

台風などの影響で破損が著しい状態でしたが、市民有志らの募金活動により、2014年に修復されました。
その他、境内には「十二支本尊」「松島弁天財堂」などがあります。
 
 

ギャラリー

弁天山大師堂 弁天山大師堂
 

施設情報

【場所】島原市湊道一丁目7474番地2
 

※本記事は、島原観光情報発信サイト「島原旅たより」(平成25~27年)の内容を基に作成しました。





 

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