吉田松陰の見た島原城下
萩(はぎ)(山口県)出身の幕末の学者吉田松陰が島原を訪れていたことは皆さんご存じでしょうか。
松陰が島原を訪れたのは嘉永(かえい)3年 (1850年) 、 21 歳の松陰が兵学の研鑚のため九州各地を巡った途上でした。
島原では、当時の鉄砲町(江戸丁)に住む砲術師範の宮川 度右衛門(みやがわ たくえもん)を訪ね、大砲に関する話を聞いています。
そして、松陰が残した『西遊(せいゆう)日記』には、当時の島原城下の様子が記されています。
12月3日、島原城下を訪れた松陰は旅人であったため、城内に入ることができませんでした。地元の人であっても日が暮れると城内に入ることはできなかったとも記しています。
このため、松陰は城内の邸宅がどのようなものかを見ることはできなかったものの、城外の市場や武家屋敷の多くが茅ぶき屋根であったと記しています。
今に残る鉄砲町の武家屋敷の風景と松陰の描写が重なるような思いがします。
なお、一週間ほどの滞在の中で、他にも松陰は護国寺の三十番神を参ったり、雲仙岳に登り湯に入ったりもしています。
武家屋敷を散策する際は、松陰の来訪に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。
(『広報しまばら』平成27年6月号「ふるさと再発見」)
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宮川度右衛門屋敷跡(江戸丁)に設置された吉田松陰来訪を示す看板 |