「島原大変大地図(松平文庫所蔵資料)」
平成2年11月に約二百年ぶりに噴火活動を始めた普賢岳は、翌3年6月3日に、大火砕流を発生させ多くの被害をもたらしました。
普賢岳は、寛政の噴火による火山活動で、寛政四年(1792年)にも「島原大変肥後迷惑」と言われる大津波で未曽有の大災害を引き起こしています。この災害の様子は、古文書や絵図として多数残されています。松平文庫に所蔵される「島原大変大地図」は、島原藩が大変直後の様子を幕府に報告するために作成した公式な記録です。
高さの比率が2倍程に強調されていますが、現在の島原城天守閣最上階から見た状況と合致するため、島原藩の絵師が特別に天守に登ることを許され、描いたものと推察されます。絵図には、眉山の下に50個程度の流山と、泥流が発生した様子が描かれ、各地の様子が文章でも記されています。
市内には、この時の大津波で犠牲になった人々を弔う供養塔が数カ所建てられています。
このような文化財を通して、過去の災害の歴史も後世に語り継いでいかなければなりません。
(『広報しまばら』平成23年6月号「ふるさと再発見」)
【写真】島原大変大地図(松平文庫所蔵資料)
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【写真】田町の流死菩提供養塔 |