この地は、16世紀中頃の島原の領主であった島原氏の居城「浜の城」の出城であった「丸尾城」の跡で、島原氏が浜の城の山手西側を守る為に築城したと言われています。
沖田畷の戦いの時には、佐賀方の山手方面隊の鍋島直茂を島津の将猿亘信光が迎え撃ち、激戦が繰り広げられました。
その供養の為に藩主・高力忠房が、寛永15年(1638年)禅林寺を建立しました。さらに、松平忠房が藩主となった時に浄林寺と変え、松平家の菩提寺・深溝本光寺の末寺としました。
最後の城主松平忠和の指令で浄林寺を廃寺とし、柏野にあった本光寺を移して現在に至り、山門はその当時のもので、島原では最古の建物です。
境内の観音堂は明治2年、本光寺が浄林寺あとに移る前から柏野にあったのを、昭和5年末ここに移転しました。堂内には鎌倉時代の青銅座像、如意輪観音、深溝松平城主位牌などが納められています。
如意輪観音像は、元亀2年(1571年)織田信長が比叡山を焼き払ったとき、明智光秀一族の手で火中から救い出し、明智の領地であった福知山に祭られていたのを、松平氏が島原入封の時にこの寺に移したものと言われているそうです。
敷地内には、藩主の子女を祀る深溝松平家墓所や元文4年(1739年)実山惠梁和尚の時、城主松平忠刻に許可を願い出てつくられた十六羅漢像のほか、島原城内から移築された常盤御殿などがあります。
常盤御殿は本光寺常盤歴史資料館として貴重な文献や遺品などが展示されています。