江東寺はもともと、永緑1年(1558年)有馬晴信の弟・宣安明言和尚が北有馬・田平に開山しました。
その後、新城主・松倉重政が島原城を竣工させると、その地を城下町郊外の今村に移し、寛永1年(1624年)新城主・松倉重政はここを菩提寺と定め江東寺と改められました。
島原大変でこの寺も崩壊流失の被害にあい、8年後現在地に建立されました。
現在の白土湖の底がかつての墓地だったようです。
この再建を祝って文政11年(1828年)奉納されたものが「ねはん図」で、有形文化財に指定されています。豊後(大分県)の貞寿尼僧が3年がかりで製作したもので、縦3.8m、横2.2mの絹地に色彩やかに刺繍され、お釈迦様の入滅を悲しむ弟子達と動物が写実的に描かれています。
この「ねはん図」にちなんで大ねはん像が造られました。昭和32年(1957年)、奈良信貴山・福崎日精師の作で、見事なねはん像が造られました。このねはん像は、板倉重昌と松倉重政の霊を供養するために建立されたものです。
身の丈8.1mの鉄筋コンクリート造りのねはん像としては日本最大で、足の裏に大法輪の相(仏足石)が刻まれているのも最初だそうです。
頭部は、信者による写経1万巻が納められ、台座は歴代住職の納骨堂です。側には島原の藩主となり、島原城を築いた松倉重政と島原の乱鎮圧の追討として派遣され戦死した板倉重昌の墓碑もあります。