
【場所】島原駅 |
「おどみゃ島原の・・・」で始まる島原の子守唄は、テレビ、ラジオの民謡番組等でもよく聞かれ、全国的にも知られている唄です。
哀調を帯びたメロディーが人々の胸を打つのでしょう。 宮崎康平氏が最初にこの子守唄を活字にしたのは昭和25~6年頃で、九州文学に「廃港」と題して、かつて貿易港として栄え、また「からゆきさん」を送り出す港でもあった口之津港が、日々廃れていく様を、子守唄に託してこの随筆の締めくくりに載せたのが最初とされています。
メロディーは、幼子を寝かしつけるのに口ずさんでいたものをもとにしたもので、本格的には、宮崎康平氏が執筆していたNHKのラジオドラマ主題歌を作曲した高校の音楽教師、寺崎良平氏が採譜しました。
康平氏の妻、和子さんによると、当時、NHK長崎放送局ラジオのお休み番組のテーマ曲として、古関裕而氏のハモンドオルガン演奏で毎晩流れるようになったということです。
また、古関氏の推せんで日本音楽著作権協会にも、「宮崎一章(康平氏の本名)・作詞・作曲」で登録されています。 毎晩8時になると、「島原の子守唄」のミュージックサイレンが、幼子のねむりを誘うかのように市内の隅々にまで流れます。
遠く中国や東南アジア各地へ売られていった娘たちのことを「からゆきさん」といいますが、島原の子守唄は貧しいがゆえに南方へ送られていった娘たち(からゆきさん)の悲しみ、哀れさ、一方で「からゆきさん」をうらやむ貧しい農家の娘の心を描写したものといわれます。
昭和28年、保存会が結成され九州一円の様々な催事で唄や踊りを披露、島原のPRに努めました。昭和32年、島倉千代子さんの歌でレコード化され、さらにペギー葉山さん、森繁久弥さんの歌声でも紹介されました。
※本記事は、島原観光情報発信サイト「島原旅たより」(平成25~27年)の内容を基に作成しました。