200年前の大災害
「火砕流」という言葉を一躍有名にした今回の普賢岳噴火災害、しかし島原市はこれに上回る大災害を過去に被っていたのです。今から約200年前の寛政4年(1792年)に起きた「島原大変」がこれで、我が国火山災害史上最大の稀にみる悲劇でした。
眉山大崩壊
この時は、まず体に感じる地震が続き、さらに普賢岳からの噴煙が上がり、溶岩流や火山ガスの噴出も見られました。激しい地震の連続に、城下の人たちは不安な日々を暮らしましたが、次第に収まりかけたかにみえた寛政4年旧暦4月1日(西暦5月21日)、大音響とともに襲った大地震によって、城下町の背後にそびえる眉山が突如崩壊、3億立方メートルを超える土砂が人家や田畑を埋め尽くすとともに、有明海へ向かって崩れ落ちました。
「島原大変肥後迷惑」
この衝撃によって巨大な津波が発生、対岸の肥後・天草(熊本県)へ襲いかかりました。さらに返し波が島原半島の沿岸18か町村へ再度来襲して、広域災害の様相を呈しました。津波による被害を含む死者約1万5千人は、未だに記録に残る最大の火山災害です。
島原外港に点在する九十九島(つくもじま)の奇観は、この時海に流れ込んだ土砂の跡です。