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島原大変をおとずれるコース

 

島原大変をおとずれるコース

1792年(寛政4年)に発生した、有史以来、日本最大の火山災害である「島原大変」の災害遺構を訪れます。

w970ジオ(島原大変をおとずれるコース)

 

島原城白土湖音無川

(1)島原城

 江戸時代初期の1618(元和4)年に松倉重政が築城。築城に際し、“森岳”という小高い丘を用いたことから、森岳城の別名を持ちま。城を建てるのに適した小高い丘は、約4000年前に起きた眉山形成の噴火の際に、今の眉山の場所にあった山が崩れてできた流れ山です。

(2)-1白土湖(しらちこ)

 1792(寛政4)年5月21日午後8時過ぎに起きた「島原大変」。大規模な山崩れの後、その土砂のへりに生じたくぼ地に、井戸から吹き出た水がたまってできた湖が白土湖です。当初は南北八町(約870m)、東西百間(約180m)もの大きさがあり、島原街道やお寺、家屋などが水没してしまいました。音無川の開削等によって、大きさは4分の1程になりましたが、湖底からは今も大量の水が湧き続けています。

(2)-2音無川(おとなしがわ)

  眉山の大崩壊後、島原城下では、湧き水が止まらず、白土湖も拡大を続けていきました。そこで藩庁では水抜き工事を行い、旧海岸線に沿って延長約1000mの水路を掘り進めました。この水路はゆるやかな流れる水の音が無いので「音無川」と名付けられました。


ひょうたん池公園仁田第一公園秩父が浦公園

(3)ひょうたん池公園

 眉山の崩壊によって生まれた崖が、壁のように迫って見える公園です。眉山の崩壊によって生じた大きな丘は(流れ山)の上にあるので、島原市街や有明海を眺めることもできます。地殻変動によって湧き出した水が窪地にたまり、ひょうたん型の池を作っていることから、この名がつけられています。

(4)仁田団地第1公園

 有明海には、眉山が大崩壊した時の山体の残骸が小さな島となって点在しており、これらは、たくさんの島という意味で「九十九島」(つくもじま)と名付けられました。

島原大変の20年後(1812年)に伊能忠敬が測量した時には59あった島々も、侵食や水没により現在は17まで減っています。この公園では、九十九島や眉山の崩壊壁が一望できます。

(5)秩父が浦公園

眉山の山体崩壊が造った風光明媚な景色が見られる公園。ここは、もともとは柳ヶ浦と呼ばれていましたが、1925(大正14)年に秩父宮殿下がこの景色を鑑賞されたのを記念し、秩父が浦と呼ばれるようになりました。


 
w450ちょこっとジオ豆知識
「島原大変肥後迷惑」とは?
 島原市の西にそびえる眉山溶岩ドームは、1792(寛政4)年の噴火の末期に2回発生したマグニチュード6クラスの強い地震によって大崩壊を起こし、大津波を発生させました。
 この崩壊と津波による犠牲者は、対岸の肥後・天草(熊本県)とあわせておよそ1万5千人に達しました。
 この惨事は「島原大変肥後迷惑」と呼ばれており、有史以降、日本国内で発生した最大の火山災害となっています。
 
 寛政の噴火は、古絵図や古文書などが多数のこされており、噴火活動の推移を克明に知ることができます。この資料の一部は、島原図書館で閲覧できます。
 (島原図書館 電話0957-64-4115)
 
 
 


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