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島原半島のなりたち

 

島原半島ジオパークについて

 島原半島では、約430万年前から平成噴火までの火山活動の跡を観察する事が出来ます。また,水中で堆積した地層や化石も産出します。その成り立ちの記憶は、普段何気なく見ている地面や崖に残されています。
 

島原半島のはじまり

島原半島のはじまり
島原半島のはじまりともいえる約430万年前の火山の噴火による地層が,南島原市口之津町の早崎半島で見られます。生まれたての島原半島は、現在の雲仙火山とは石の種類が異なる、玄武岩という流れやすい溶岩を流していました。

雲仙火山のはじまり

雲仙火山のはじまり

雲仙火山が誕生する前に、海の中にたまった地層を、雲仙火山の最初期の噴火の噴火に由来する堆積物がおおっています。その年代はおよそ50万年前です.地層の中に含まれる軽石が、最初の雲仙火山は、溶岩ドームをつくるような今の噴火とは異なる、爆発的な噴火を起こしたことがわかります。
 
 

流れ山

w480秩父が浦公園

流れ山 (秩父が浦公園)

1792年,雲仙火山は溶岩流を流す噴火を起こしました.この噴火の最末期には、島原市の西に位置する眉山の南半分が大きく崩れ,「島原大変」と呼ばれる大きな災害が起こりました。この噴火で生じたたくさんの小さい丘を「流れ山」といいます。現在では、宅地としての開発も進んでいますが、そのときの残骸は、左の写真のように、樹木の生い茂る緑色の丘として、島原市内の各所に残っています。  
 
 

千々石断層

千々石断層
日本列島の地下には、プレートと呼ばれる岩盤が沈み込んでいます。そのため、日本列島は常に大陸側に押さえつ けられています。プレートの沈み込みによる圧迫と、大陸からの押し返す力が作用しあった結果、島原半島付近は、半島全体が南にゆっくり移動しています。その速度は半島北端の神代(こうじろ)で年間約2cm、半島南端の加津佐(かづさ)で年間3cmほどです。神代から見ると、加津佐は、わずか1cmですが、 年々遠ざかっていることになるため、島原半島は南に引っ張られるような力が働きます。地表は固い岩盤で出来ているため、このように岩盤全体に広がる力が加わった場合、必ずどこかがひび割れます。その割れ目の一つが千々石(ちぢわ)断層です。
千々石断層は雲仙市千々石町付近にある正断層で,島原半島内で最も明瞭な断層地形を呈しています.断層の総延長は14km,最大落差は田代原(たしろばる)付近で450m以上に達し,1000年間で約1.5m(年間1.5 mm)の割合で断層の南側が沈降しています.断層の南側が沈降しているため,この断層を境にして海岸線が内陸側に入り込み, 橘湾のきれいな円弧状の海岸線が形成されています。
島原半島が(見かけ上)南に引っ張られる事によって出来た割れ目は、千々石断層の他、深江断層、布津断層、金浜(かなはま)断層などがあります。これらの断層に囲まれた島原半島の中央部は今もなお沈み続けているため、この沈降帯は「雲仙地溝」と呼ばれています。今もなお、沈降を続けているこの半島の中央部は、本来であれば海の底に沈んでしまうはずですが、雲仙火山があたかもそれを補うかのように溶岩や土砂を供給するため、現在の島原半島は中央で分断されることなく、むしろ中央に大きな雲仙火山を据えた、一続きの半島になっています。
 
 

早崎玄武岩

早崎玄武岩
島原半島最南端に位置する早崎半島の海岸沿いには、真っ黒い溶岩流が分布し、現在の雲仙普賢岳が噴出する溶岩とは色も組織(見てくれ)も全く異なっていま す。これは島原半島の中で最も古い岩石の一つである早崎玄武岩で、その年代は約430万年前と推定されています。
島原半島を作り出した最初の噴火は、海底からの火山噴火から始まりました。最初は、高温のマグマと海水が直接触れあって大爆発が何度も生じ(マグマ水蒸気 爆発)、細かい火山灰が水中に堆積しました。その火山灰層の中には、爆発によって空中を飛来してきた火山弾が突き刺さっているのが認められる事がありま す。火山体が成長し、マグマと海水が直接触れなくなった後は、この火山灰層の上を粘りけの低い玄武岩質の溶岩流が覆いました。火山灰層の上面は、流下した 高温の玄武岩質溶岩によってレンガのように赤く焼かれている様子も観察出来ます。
 
 

国崎安山岩

国崎安山岩
島原半島の西に突き出た国崎半島には,およそ150万年前に噴出したとされる 国崎安山岩が分布しています.半島の海岸沿いには,この安山岩質溶岩と同質のレキを大量に含んだ土石流堆積物の見事な露頭があります.この土石流は,直径 1cm近くに達する普通輝石の巨大な斑晶を含む溶岩塊を含むのが特徴です.この国崎安山岩を含む火砕堆積物の地層(南串山層)は、島原半島の南西部に広く 分布していますが、この南串山層が削られて作られた岩が、奇岩・「両子岩(ふたごいわ)」です。人の顔にも見えるこの岩は、国崎半島付近にあったとされる 火山体のすそ野を構成する土石流堆積物の差別浸食によって生じたとされています。昔は同じような岩の塔が2つありましたが、一方は海食などによって壊れて しまい、今は一つだけが残っています。
 

原城跡

原城跡
1637年に起こった「島原の乱」の激戦地で、世界文化遺産登録を目指している原城趾は、その歴史的な重要さだけでなく、地質学的にも重要なジオサイトです。
原城跡は標高約30mほどの平坦な高台にありますが、この起伏の少ないなだらかな地形は、約9万年前に阿蘇火山が引き起こした巨大噴火に伴う大規模火砕流 (Aso-4火砕流)が、地形の起伏を埋める事によって出来ています。この大規模火砕流に伴って巻き上げられた火山灰は日本全土を覆い、北海道網走市で も、厚さ10cmの火山灰層として確認できます。海岸沿いの露頭では、下位の口之津層群とAso-4火砕流が不整合で接している様子を確認する事 が出来ます。
更に、原城の沖合の海域には、「サンゴ藻」の一種が群落を作っています。これは、海水中の石灰分を固定しながら成長する珍しい“植物”で、「リソサム ニューム」とも呼ばれています。原城跡の海岸では、白く石化した、特徴的な形のサンゴ藻の破片や遺骸が拾えます。
 
 

龍石/龍石海岸

 
 龍石01 龍石02

雲仙火山の形成前は、口之津層群と呼ばれる地層が浅い海等の水中に堆積していました(左写真中の(1)の地層)。その年代は250万〜70万年前と推定されています。一方、現在の島原半島の中央にそびえる雲仙火山は、およそ50万年前から活動をはじめました。
雲仙火山の最初の山体は、現在の小浜温泉から雲仙温泉付近に形成されたと考えられています(“小浜火山”とも呼ばれています)。小浜火山は、約50万年前に軽石を放出するような爆発的な噴火を起こし、「古期雲仙火山の噴出物」(左写真の(2)の地層)を龍石海岸まで到達させました。その後、小浜火山は噴火を繰り返し、裾野を四方に広げながら成長を始めました。この裾野の一部が(3)の地層です。このように、龍石海岸では、時代や形成過程の異なる3つの地層が同時に見学できるため、雲仙火山のはじまりとその後の成長過程を考える上で、大変貴重な場所です。
なお、本来、山の裾野は海に向かってきれいに伸びながら、なだらかに海面と同じ高さ(海抜0メートル)になっていきます。しかし、龍石海岸付近は、海から切り立った高さ10m程度の崖が連なります。これは、山からの土砂の供給が途絶え、山の裾野が波によって削られてしまったことを示しています。山の山頂から延びる裾野の形を見るだけでも、地層の新旧が推定できるのです。
 
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