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災害の予防と復興

 

災害の予防と復興

災害の被害を最小限に食い止めるため、島原半島では様々な砂防・治山対策が行われてきています。「信玄堤」に代表される伝統的な工法から、世界初となる無人化施工に至るまで、日本の砂防技術を駆使した施設群が見学出来ます。

 

災害の予防と軽減

雲仙火山では、人々は噴火のたびに泥流や土石流の被害と闘ってきました。現在は、近代的な砂防工事によって、住民の暮らしが守られています。

導流堤
導流堤
スリットダム
スリットダム

発生した土石流を導流堤の中だけに流れさせ、家や畑への被害を少なくするための堤防です。 カタカナの「ハ」の字型に堤防を配置する事により、 効率的に土砂の流出を食い止める方法で、武田信玄がその原型を編み出したとされています(信玄堤)。

土石流のなかに含まれている巨大な石や流木のみを取り除き、中の水に飽和した部分のみを下流に流す為のダムです。このダムを設置する事により、岩塊による家屋や建造物の破壊が免れるため、被害を少なくする事が出来ます。


 

 

無人化施工

無人化施工
平成の噴火災害当時、火砕流が到達する危険な警戒区域内において、土石流の発生源となる堆積土砂の除去作業が至急必要であったため、ブルド―ザによる押土・集土、バックホウによる掘削・積込み、ダンプトラックによる搬出という一連の除石作業を、全て遠隔操作で行う技術が開発されました。旧大野木場小学校に隣接する大野木場砂防監視所(愛称:大野木場砂防みらい館)では、雲仙普賢岳災害の記録や砂防工事について見学することができます。
 
 

上木場火砕流被災遺構

上木場農業研修所跡上木場上木場定点
北上木場農業研修所跡。家屋の基礎部分や、被災したパトカー等が展示保存されています。
研修所跡地付近で見られる表面が溶けた排水パイプ。火砕サージの熱と、その後の家屋の延焼による物です。
「定点」に建てられているモニュメント。

1991年6月3日の火砕流にともなう高温・高速の火砕サージによって多くの犠牲者が出た上木場の被災地では、住民と行政が連携して災害遺構の保存が行われています。
当時の消防団の詰め所となっていた北上木場農業研修所跡には、建物の基礎部分と、半焼と焼けただれた消防車やパトカーの残骸が保存されています。さらに、 そこから300mほど上流の、報道陣が詰めかけていた通称「定点」と呼ばれた撮影拠点には、現在は白い三角錐の塔が建てられています。一帯では1991年 6月に発生した一連の噴火に伴う堆積物を観察する事が出来るため、学術的にもたいへん重要な場所です。

※「上木場火砕流被災遺構」は立ち入り禁止区域内にありますので、通常はご覧いただくことができません。

 

千本木被災遺構

千本木千本木千本木
千本木展望所から見た平成新山。1993年6月23,24日の大火砕流は、溶岩ドームのすぐ下に見えるV字谷の中を流下しました。
画南千本木の一部地域には、1993年6月23,24日の大火砕流の堆積物が保存されています。千本木展望台からは、復活した植生の中に、被災遺構が点在しています。

千本木地区は、1993年6月23,24日の2日間にわたって断続的に発生した火砕流と火砕サージによって、壊滅的な被害を受けました。現在、この地区 は土石流の発生を軽減するための砂防工事が行われていますが、一部のサイトでは火砕流堆積物が堆積した時と同じ状態で保存されており、堆積物とその発生時 刻との対応関係が精密に分かっている数少ない場所です。また、一部の被災家屋や災害遺構も保存されています。
「しまばらまゆやまロード」に面した千本木展望所からは、1993年の噴火によって被害を受けた千本木地区の様子を一望出来ます。

※立ち入りが制限されている場所があります。

 

土石流被災家屋保存公園

 

土石流被災家屋公園01土石流被災家屋公園01

屋内に展示されている土石流被災家屋

屋外にも家屋が展示

島原市と南島原市の境を流れる水無川では、噴火中、たびたび大規模な土石流が発生しました。その土石流により、多くの家屋や田畑が埋没してしまいました が、その家屋の一部を移設し、屋内に保存・展示をしているのがこの公園です。公園では、およそ2.8mの厚さで、土砂に埋もれてしまった合計11棟の家屋 (屋外8棟、屋内3棟)の様子を間近に観察する事が出来るほか、記録映画の上映も行われており、現在でも土石流による被害を生々しく感じ取る事が出来ます。
この公園の周辺域では、土石流の被害から街を守るために、数mに及ぶ地盤のかさ上げ工事を実施した「安中三角地帯」の美しい町並みを見る事が出来ます。 さらに,この公園に隣接している「道の駅」は、地元で採れた新鮮な農作物や特産物が格安で販売されており、観光客の人気のスポットの一つになっています。

 

垂木大地の自然回復

垂木大地
平成新山ネイチャーセンターが建っている場所は「垂木台地」と呼ばれています。垂木台地は、普賢普賢岳災害に伴う火砕流や土石流による被害を受け、一面焼け野原となりました。災害後、垂木大地では、ボランティアなどによる苗木の植樹活動が積極的に行われ、植生の回復が図られてきました。噴火から年月が経ち、自然がどのように再生していくのか、植物の生命力を間近に観察することができます。また、遊歩道も整備されており、道路脇には、平成の噴火によって発生した火砕流堆積物を観察でき、1枚1枚の地層ができた時刻まで分かっています。
 
 

火砕流最長到達点

火砕流最長到達点
1990年(平成2年)からおよそ5年間継続した雲仙普賢岳噴火では、しばしば山頂に形成された溶岩ドームが一気に崩落し、規模の大きな火砕流が発生しました。最も遠くまで達した火砕流は、1993年(平成5年)7月19日に発生した大火砕流で、山頂からおよそ5.6km流下し、国道57号線を約80メートルこえました。重要なライフラインである国道を火砕流が越えた、という点で、その後の防災対策に大きな影響を及ぼしました。最も火砕流が遠くまで到達した場所には、「火砕流最長到達点」と書かれた支柱と、噴火当時の写真が掲載された解説板が建てられています。 かつては火砕流の危険にさらされ、土石流の危険にさらされ、土石流が何度となく流下した場所も、現在は「ふかえ桜パーク」と呼ばれる公園として整備され、子どもや家族連れが訪れる憩いの場になっています。
 
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