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武家屋敷

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武家屋敷水路

 

武家屋敷水路

武家屋敷水路
元和2年(1616)に島原に入封した松倉重政は、7年余りをかけて島原城を築いた。併せて、城下町を整備し、城郭西側に下士の住居として武家屋敷を配した。
この武家屋敷一帯は鉄砲町と呼ばれている。鉄砲町とは鉄砲組の住居地帯であったこと、造成当時隣家との間に塀がなく、鉄砲の筒の中をのぞいているようだったことから、その名が付いたといわれている。
 その後各屋敷は石塀を築いて囲い、町筋の中央に400mの水路を設け、2km北の杉山権現熊野神社を水源とし、湧水を導いた。
石塀は城外のもう一つの城壁であり、水路は生活用水であると同時に防火用水でもあった。それから大正時代まで飲用水として使われ続けていた。島原藩は「水奉行」という役職を設け、水路で鍋や釜を洗うと没収し、水を汚すと罰するなど、貴
重な湧水を厳重に管理していた。
 現在は下の丁にだけその一部の水路が残っている。当時から月に何度か水路の清掃日を定め、通りの住民が清掃していた。これは現在も変わらず続いている。
 
 

山本邸

山本邸
山本家の初代左五左衛門は、忠房公の先代三河(愛知県)の吉田城主忠利公時代から家臣となり、寛延2(1749)年、5代忠祇公の宇都宮移封、安永3(1774)年、6代忠恕公の島原への所管の所替に際して随行し、その後幕末まで前後13代の城主に仕えました。山本家は城主からの信頼が厚く、明治以後は悟郎氏秀武氏と合わせ10代続いております。5代茂親氏は、寛政2(1790)年に一刀流の免許、文化元(1804)年には荻野流鉄砲術師範、文化8(1811)年大銃術の免許皆伝を得て、代々重職を務めました。 17石2人扶持で、門構えは最後の城主忠和公が特別に許されたものです。
 
 

鳥田邸

鳥田邸
鳥田家は、藩主松平氏の草創以来の古い家柄で、藩主の転封に伴って三河国吉田、丹波国福知山と転じ、寛文9(1669)年、ここ島原に入りました。歴代地方代官・郡方物書などを勤めましたが、幕末には御目見獨禮格で7石2人扶持を受け、材木奉行・宗門方加役・船津往来番などの重職につきました。このあたり一帯は中・下級武士の屋敷で、一戸当たりの敷地は3畝(90坪)ずつに区切られ、家ごとに枇杷、柿、柑橘類などの果樹を植えていました。道路の中央を流れる清流は、往時の生活用水路です。
 
 

篠塚邸

篠塚邸
この屋敷に住んでいた人は、姓をを篠塚といい代々順右衛門を称し、祖先は三河(愛知県)深溝ですが、寛文9(1669)年、松平主殿頭忠房が丹波福知山5万石から7万石島原城主として移されたときに従ってきて、明治初期まで11代、8石から13石2人扶持を給され、主として郡方祐筆(書記)や代官などを勤めました。
 
 
 



 

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