平成2年(1990年) |
11月17日 |
普賢岳から噴煙あがる (九十九島火口、地獄跡火口) |
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平成3年(1991年) |
2月12日 |
新たな火口出現(「屏風岩火口」と命名) |
5月20日 |
地獄跡火口に溶岩ドームが出現 |
5月15日 |
初めての土石流が水無川流域に発生 |
5月24日 |
初めての火砕流が発生 |
5月26日 |
火砕流による負傷者発生 |
5月27日 |
島原市と深江町に対し「災害救助法」適用 |
6月 3日 |
大火砕流発生 (死者43名:家屋焼失・倒壊179棟) 長崎県が自衛隊に救援出動要請 |
6月 7日 |
警戒区域設定 |
6月 8日 |
大火砕流発生(家屋207棟が焼失・倒壊。先端は国道57号に達する) |
6月30日 |
148棟を飲み込む土石流発生 |
7月10日 |
天皇・皇后両陛下お見舞いのため被災地入り |
9月15日 |
最大規模の火砕流発生(218棟が焼失・倒壊) |
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平成4年(1992年) |
8月 8日 |
台風10号の影響で土石流が発生 (30haにわたり氾濫。国道251号、島原鉄道が埋没。家屋355棟が全半壊) 赤松谷方向に火砕流発生 |
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平成5年(1993年) |
4月28日 |
水無川に加え、中尾川でも土石流発生 (70haにわたり氾濫。338棟が全半壊) |
4月12日 |
雲仙復興工事事務所(建設省)開設 |
5月 2日 |
水無川、中尾川で数回の土石流発生。被害広がる |
6月18日 |
国道57号にかかる水無川橋流失。 多数の家屋が流失・倒壊 |
6月23日 |
北東側斜面に火砕流発生。 死者1名、家屋151棟が焼失・倒壊 |
7月 4日 |
中尾川流域で土石流氾濫。 国道251号が不通になり、島原市孤立 |
7月19日 |
火砕流発生。国道57号を越える |
8月20日 |
眉山六渓でも土石流発生。被害多数。 |
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平成6年(1994年) |
2月 6日 |
北西側の湯江川方面にも火砕流発生。 |
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平成7年(1995年) |
1月 6日 |
噴火以来初めて火山性地震の発生ゼロ |
2月 |
溶岩ドームの成長が停止 |
4月28日 |
国道57号線が開通 |
5月25日 |
火山噴火予知連絡会は「噴火活動はほぼ停止状態」との統一見解を発表 |
7月 9日 |
島原鉄道の水無川流域区間での高架化事業着工 |
9月 5日 |
湯江川上流のスーパー治山ダム完成 |
10月28日 |
水無川上流のスーパー治山ダム(1号ダム)着工 |
11月1日 |
県道愛野島原線の不通区間開通(2年4ヶ月ぶり) |
12月16日 |
陸上自衛隊島原災害派遣隊が撤収。活動は通算1658日 |
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平成8年(1996年) |
3月26日 |
水無川拡幅改修工事完成 |
3月27日 |
林野庁、普賢岳の大規模緑化に着手 |
5月20日 |
普賢岳溶岩ドーム出現からまる5年を機に、島原市と小浜町は溶岩ドームを「平成新山」と命名 |
5月30日 |
九州大学島原地震火山観測所の太田一也所長が「普賢岳の 噴火活動は終息した」との見解を示す。 |
6月 3日 |
「噴火活動の終息宣言」 大火砕流惨事からまる5年。長崎県、島原市、深江町が災害対策本部を解散。 |
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