小原下遺跡は、標高18m、江崎川と小原川に挟まれた丘陵上に位置します。周囲の畑では、耕作時に多数の縄文土器が出土することや採集資料として土偶が発見されていたため、島原市内の遺跡の中でも特に重要視されていました。
平成18年の調査では39軒の住居や土偶、高坏などの特殊な形をした土器が多数発見され、竪穴住居の配置と土器の特徴により縄文時代後期(今から約3500年前)の集落跡であることが判明しました。
島原市内では、大野原遺跡で同時期の土器製造跡と考えられる遺構が発見されていますが、竪穴住居は発見されていません。また、長崎県内全域においても縄文時代の竪穴住居は数軒しか発見されておらず、集落跡としては初とめての発見となりました。

小原下遺跡
発見された39軒の住居のうち竪穴住居と特定できるものは19軒あり、平面形状が隅丸長方形の形をなすものがほとんどで、長軸約7m、短軸約4mほどと一般的な竪穴住居と比較すると大きめの規模を持っています。住居内で発見された縄文土器を比較すると、同時期に建てられたいた住居は多くても10軒程度と考えられます。

竪穴住居
長崎県ではこれまで十数点しか発見されていなかった土偶が9点発見されています。土偶とは、人間の姿を模して作られた土製品で、全体的な形は人間(女性)の姿をしていますが、手足等細かな部分は抽象的に作られます。その反面、乳房・腹部・陰部などは具体的に作られるものが多く見られます。土偶は大半が何らかの形で破損しており、故意に壊したと思われるものや壊れやすく作っているものもあります。このため、祭祀などの際に破壊し、災厄などをはらうことを目的に製造されたという説もあます。また、大半の土偶は人体を大きくデフォルメして表わし、特に女性の生殖機能を強調していることから、豊穣、多産などを祈る意味合いがあったものと推定する説もあります。

土偶
生産活動に直接かかわる道具ではない土偶を多数持っている小原下遺跡に住んだ縄文人には、精神的な文化を営む為の生産的な余裕があったことうかがえます。
小原下遺跡 平成18年度調査地