 龍造寺隆信供養塔(二本木神社境内) |
沖田畷の合戦は、天正12年(1584年)、九州制覇を目指していた佐賀の戦国大名・龍造寺隆信が大軍を率いて島原半島に攻め寄せた戦いです。
龍造寺方に付いた島原半島の豪族(神代氏、雲仙市国見町)などもあり、日野江城(南島原市北有馬町)領主の有馬晴信は劣勢となりました。そのため、鹿児島の島津氏に援軍を頼み迎え撃ちます。
3月24日、本陣を森岳(島原城がある丘)に置き、海岸から丸尾砦(本光寺の裏山)にまで布陣した有馬・島津方に対し、寺中城(三会城)を出発した龍造寺勢は海沿い、山の手、中央の三方から攻撃を開始しました。激戦の中、大将の龍造寺隆信が首を討たれ、合戦は有馬・島津連合軍の勝利となり、有馬晴信は領地の防衛に成功します。
討死した龍造寺隆信を祀った神社が北門町にある二本木神社です。社殿の前にある石灯籠は昭和4(1929)年に佐賀藩主の子孫である鍋島氏と、龍造寺隆信を討ち取った島津方の武将・川上左京(忠智)の子孫が奉納したものです。
供養塔は、石原氏(島原市)が昭和4(1929)年5月に北門町に建立したものを、令和6(2024)年7月6日に二本木神社に移築したものです。